何年ぶりになるのかさえ正確には思い出せない。昨日の夜、もの凄く久々――たぶん6〜7年ぶり――に訪ねた南青山の小さなライブハウス「B」で、JAZZに浸る。毎月律儀に出演予定表付きのDMを送ってもらっているのに足が遠のいていたことを蝶タイのウエイターさんに詫びてからお酒を注文し、一番奥の、僕が好きなボックス席に友人と陣取る。ヴォーカルのMさん、CDでその声だけ聞かせると彼女が日本人とはまず誰も信じない。いやもうハスキーでシブいのですよ。
25歳の時、デザイン会社の先輩からクルマ(伝説のホンダ・シティ・カブリオレ。断っておきますけどあのピンク色はあくまで純正色ですから!)譲ってもらった春の週末、嬉しくてわーいわーいと無目的にドライブしていて、気付いたら房総半島の先のほうまで行ってしまいそこで夜中になり、急に通りゃんせみたいな心境になって(馬鹿だね)最寄りのコンビニで「るるぶ千葉」を立ち読みして近くの宿泊施設を調べ電話番号を暗記(買え!)。携帯がまだ普及してない時代の事です、公衆電話から電話かけて、あのすいません今から泊めてもらえますかと訪れたのが、千倉町のBというペンション。マスターは大のジャズ好きでIBM勤務の後脱サラし、何百枚ものレコードとオーディオ機器と共に千倉にペンションを開いたのだとの事。リビングはミニコンサートくらいならできそうな広さで、夜中に急に来たにも関わらずマスターはお酒作ってくれて自慢のレコードも聞かせてくれました。ちなみにマスター、翌朝一緒に朝食しながら「あんな夜中に1人で急に来たから、なんか死に場所求めてさまよってるアブナい奴じゃないかと思って夜中ずっとビビってたよ」。誰が死に場所求めてさまよってるアブナい奴じゃ。
その夏マスターから電話があり、今度ペンションにミュージシャン招いてコンサートやるからお前も来なさいというコトになり、シティで駆け付けたそのコンサートで歌っていたのがMさんだったと(はあ長い話し)。
以来Mさん、アサヒ黒生のCMソング歌ったりニューヨークで活動してた時期もあったのかな、なにせご活躍で、僕は吉祥寺のサムタイムや高円寺のジロキチ、そして青山のB(ここだけは店名は内緒。いひひ。ブルーノートじゃないよ参考までに)といった店を時折(と言っても年に数度、だったのがやがて数年に一度、というペースに…)訪ねては、変わらぬハスキーな声とピアノ、ベース、ドラムのトリオによる演奏を楽しんでいました。その間に僕は、デザイン会社を辞め、仲間と共同の事務所を始め、やがて独立し、と変化の激しい期間だったのだけど、お店と、置いてあるスコッチと、歌声はまったく変わることがなく、きっと僕にはそれが嬉しかったんだと思う。
6〜7年前最後に訪ねた時、ちょっと失敗した。取引先のお客さん数名と飲みましょうかという話しになり、僕は、いい店知ってるんですよとBに案内したんですね。お客さんは、店での過ごし方をまったく知らず――ジャズを、という意味ではなくそこでの時間の過ごし方を――、要するに歌も聞かずにくっ喋っとったワケです。悪い人でも非常識な人でもないのだけど、粋を理解してなかったんですね。その方がダサいのじゃなく、その人を連れて行った僕がダサいのです。大切な場所を接待に使おうとしていたワケです。しまったー、と思いましたね。別にお店に叱られたりしたわけじゃなかったんですが、その後最長記録に足が遠のいてしまっていたのはその時の申し訳なさもあったのかも。
Mさんが「Easy To Remember」を歌っている。目を閉じるとニューヨークを思い出す……行ったことないですけど。
店の内装も壁に掛けられた写真も変わっておらず、野菜スティックの切り方も一緒。昨夜久しぶりのBで、でも僕は、乾いたスポンジをじゅわっと水に浸したように、すぐに「昔からの感じ」に。まさしくEasy To Remember。なんだかいろんな事をいっぺんに思い出し過ぎて頭のHD容量が足らない感じ。あんまり間を空けるもんじゃありませんね。
以前は僕を見つけるとインターバルにグラス持って席まで挨拶に来てくれていたMさん、昨夜は来ず。そりゃ6年も7年も経ってるんだから客の一人なんて忘れるよな、悲しいけど仕方がないよと思ってたら、帰りがけに控え席の近くを通ったら「あらー久しぶり」と握手してくる。単に最近視力が落ちて奥の席にいた僕の顔が見えなかったんだそうで。それはそれで別の意味で悲しい…(涙)。でも忘れてるわけないよな、きっと覚えているはずだ、とも、実は内心、思っていたのでした。
It's easy to remember, but so hard to forget.... 思い出すのは簡単だけど、忘れるなんてできやしない。